未曾有の大津波の被害にたいして他人事とは思えず、何か自分にも出来る事があれば,是非やってみたいと思っていたので、家族の後押しもあって今回の取り組みに参加しました。
初日は食事作りに参加しました。新米や野菜等の差し入れが沢山あったのでそれらを全部使って、カレーやサラダ等を作りました。80人からの食事を作るのは、なかなか作り甲斐がありましたが、初対面の人達と協力し合っての作業は教えていただく事も多く勉強になりました。「ご馳走様、美味しかった」等の声をいただき、完食していただき何よりでした。
二日目は埼玉の人達と一緒に道路の清掃に参加しました。前日の台風による大雨もあって、枝や泥、石と一緒にマムシやサワガニまでも流されていました。地震による地盤沈下に、更に台風による大雨で海岸線から奥まった所の田んぼや畑も、一面海のような状態で、たわわに実った稲穂が水びたしになっていました。私も少しばかりの畑を作っているので、気持ちを察すると共に早く水が引いて欲しいと思いました。
最後の日は、県連の会長のたっての希望により、津波によりほとんどの子どもと教職員が流され亡くなってしまった、大川小を尋ねました。大川小は北上川沿いの、海からは少し離れたところに建っていましたが、コンクリート平屋建てのとても立派な物でしたが中はすべて流されて、机やいす、学用品などが近くに山のように積まれていました。保護者らしき人、地元の関係者も数名いました。私たちも真新しい石碑のまえに、清水さんの持っていった線香をあげさせていただきました、怖かったであろう、つらかったであろう、寂しかったであろう、「おかあさん、おとうさん。」と助けを求めながら、一瞬にして流されてしまった子どもたちをおもうと、思わず悲しみに涙がこみあげてきました。そして、消えることのない親御さん、家族の悲しみ、苦しみ、寂しさを思うと、いたたまれなくなってしまいました。自然大好き人間の私は自然から沢山の恵み、思い出、喜びをもらっていますが、自然は時によっては牙をむきだし、人間を悲しみのどん底に追いやるものと、強い衝撃を受けました。
今回の取り組みによって地球に生きる一人の人間として、思いやる気持ち、助け合うことの大切さなど沢山のことを学ばせていただきました。(Ki.K記)
3月の、震災発生以来被災された方々の様子をマスコミ等の報道で見てきましたが、現地へ行って何かできないかという思いをもっていましたが、今回女性委員会企画のボランティア募集があるということで参加させていただきました。大宮から7名の参加で総勢80名を超える人数でほとんどが女性でした。
今回は石巻の北上川周辺の農地改良という事であったが台風の大雨で牡鹿半島の道路が不通となりそちらの復旧の手伝いであった。
石巻の到着が未明のため様子がわからなかったが、鮎川という町への移動の途中でまさに被害のすさまじさを目の当たりにし言葉を失った。多くの方たちの生命財産を奪った地震、そして津波の恐ろしさを実感する。家が店舗が学校が、道路そして橋がすべて破壊され元に戻るまでどれほどの時を要するか、想像もつかない。
ボランティアの途中被災された方々と話をする機会がありましたが、たくさんの命が失われたけど自分はこうして生きているそれだけでありがたい、皆さんの力を借りて前向きに生きていく、この言葉に胸がつまり命の大切さを改めて実感しました。
最後の日、たくさんの子どもが流された大川小に行き、お線香を手向けさせていただいた。石巻労山の方たちのおもてなしに感謝しボランティアの継続を胸に帰路に着いた。
次回たくさんの方の参加がありますように。(Tu.S記)
何度も映像で目にした光景が広がっていた。震災から半年以上たって、町をうめつくしていたがれきはほとんど撤去されていたが、あちこちに行き場のないがれきの山ができていた。あらためて津波の威力の恐ろしさを見せつけられたようで身震いした。
車で町を走っていると遠目には家が立ち並ぶどこでも見られる風景が、近づくにつれ一階部分が皆木っ端みじんといった悲惨な状態だ。人気のない生活の臭いのない町が続く。「復興」と簡単に言葉にしていたが生易しい事ではないと強く感じた。今回ボランティアに参加して現地の空気を肌で感じる事ができましたが、それは想像をはるかに越えるものでした。
皆さんにも是非体験していただきたい。まだまだ多くの力が必要です。私も微力ながらこれからもお手伝いできればと思う。(Ma.S記)
今回で三回目のボランティアでした。今でも沢山の人々が震災支援活動に参加している事に心強くかんじています。百人前のカレーを作り「おいしい!美味しい!」と参加者に食べてもらった事も楽しい思い出になっています。
しかし石巻津波被災地の市街地は、今だ平地のまま復興ならず雄勝町大川小学校付近は水害のまま人住めずの状態でした。政治の力や世界第三位の経済力を発揮すべきではと考えますが、見えてこない処が辛いなと思いました。
次回の支援活動へと考えています。(Hi.T記)
労山女性委員会
石巻・震災ボランティアに参加して…
東日本大震災被災地の惨状が連日のように新聞・テレビ等で報じられています。私もニュースを見聞きしながら、復旧・復興のために何か役に立ちたいと漠然と思っていました。そんな折労山からボランティア募集の連絡があり、躊躇なく申込みました。
今回の私たちの活動地は石巻でした。目的地に向かう途中の高台の所々に、バレーボールのような物体(ブイ)がまとめて置いてありました。津波に打ち上げられたのでしょうか。海面から2〜30mも上なのに。
私たちの仕事は石巻労山の方によって決められ、二日間にわたり割り当てられた場所で泥・石・倒木の撤去、缶・ビン・ペットボトルの収集を行いました。最終日の三日目は朝解散式を行い、帰路門脇町に寄りました。
地元の方によると、この町は一瞬にして津波に呑み込まれたのだそうです。その中には学校も含まれていましたが生徒や職員たちは速やかに日和山公園に逃げて、全員無事だったとのこと。その日和山公園(高さ20m位)に登ってみました。門脇町と南浜町が一望にできます。静かな海、それに沿って見渡す限り続く瓦礫。
今回の活動は、東京や関西等との同一行動でしたが、ここからは彼らと別れ埼玉組は釜谷の大川小学校に行くことにしました。ここは前述の学校とは違い、生徒74人・職員10人が津波の犠牲になってしまったのです。
正門前には花束・ペットボトルが置かれており、皆で線香をあげ合掌・冥福を祈りました。校舎の裏手に小さな山があります、中腹にはピンク色の印が付けてあり、そこ(10m位の高さ)まで海水が上がってきたのだそうです。地震がおきてすぐこの山に登っていれば助かったかもしれません。急斜面とはいえ立木があり、低学年の生徒でも5分か10分もあれば登れたでしょう。避難計画・予行演習の重要さが思い知らされます。
今後の救援ボランティアについてですが、作業途中の所も、また人手が無くて全く手がつけられていない地域もあります。ボランティアも継続してこそ意味があります。埼玉県連は独自でも計画し、実行すべきだと思います。
会員の方はまず参加しましょう。各々ができることをやればそれで充分です。体力に自信のない方には「被災者の話を聞いてあげる」という精神面での支援活動もあります。現地では地元の労山の会員がコーディネイトしてくれるので心配ありません。一人でも多く参加して活動しましょう。
(Na・G記)
どんな作業でどの位できるのかと不安に思いながらの参加でした。現地に入ってみるとちょうど台風の通過直後で、その被害は大変な様子でした。水田や畑は水を被り住宅が水に漬かり孤立、集落を結ぶ生活道路が土砂崩れしている状態でした。震災の復興もままならない状況でさらに台風の被害と、やり切れない思いでした。
私たちの作業はその台風の被害にあった道路の清掃を二日間やりました。スコップ、一輪車、高ボウキなど、道具も十分ではないため、手で小石や木片などを拾い片づけました。場所によってはスコップより重機の方が…という所もありましたが、何もかもが足りないのが現実なのかもしれません。
現地の労山の方の手配で作業の分担や道具の調達はスムーズにできた様ですが、それでも時間のロスが多かった様に感じました。人数が100名近くと大勢でしたから、それもしかたがないのかもしれません。今回の作業が少しでも地元の方の役に立ったのなら嬉しく思います。(To・U記)