東日本大震災支援 ボランティア活動
宮城県石巻市北上地区日本勤労者山岳連盟: 東京、群馬、湘南、京都、埼玉
参加人数:約 100名
埼玉工程:9月22日(木曜日)移動日 夜発
9月23日(金曜日)祭日 作業日 大原地域生活道路の復旧作業
9月24日(土曜日) 作業日 鮎川地域生活道路の復旧作業
9月25日(日曜日)市内視察 帰宅
ボランティア作業は農地復旧の予定であったが、前日に上陸し猛威を振るった大型の台風15号
による集中豪雨の影響で、生活道路が被災し交通の支障が発生。急遽生活道路の復旧を行なう。
被災状況は、豪雨による法面の土砂崩落および土砂崩落に伴う樹木や電柱の倒壊また豪雨に
よる路肩地盤の洗堀および崩落。
大原地域の避難住宅にて、「津波が来た時裏の神社に避難して被災を逃れた婦人の話を伺った。
付近の津波による被害地を視察すると、神社はほとんど無傷に感じた。
神社の設置位置は、被害集落との高低差がほぼ同じであり不思議な現象と思える。
地元の方から「津波の時は、牡鹿半島と金華山との海峡(金華山瀬戸)の海が割れて陸地が見え
歩いて金華山に渡れそうだった。まるでモーセの十戒のようだった。」
「情報が公開されなかったが、女川原発も福島原発と同様メルトダウンの危険性があった。
それは冷却水ポンプ電源4系統のうち3系統が停止し、1系統での冷却作業となった。」
また、多くの犠牲者を出した大川小学校には献花台が設けられ半年が経過した今でも献花が
絶えず、我々が着いた時にも子供を亡くされたご婦人が献花台の掃除をされていた。
我々は線香を供え、ただ手を合わせる事しか出来なかった。
市役所
−−−津波最高到達ライン
2011/9/25大川小学校と献花台今も残る線香を供え合掌
石巻市街地の被災状況(日和山公園より)
建物の基礎のみ残る。海岸線には瓦礫の山。
門脇小学校から海岸方面に50m程度の建物。
製紙工場からのパルプが散乱しヘドロ状となった
石巻市立病院(復旧の目処立たず)
2011/9/25石巻市内視察
私立門脇小学校 屋上まで津波が到達 児童は、小学校脇の日和山公園に避難して
海岸から約500m 難を逃れる。
A
A:日和山(ひよりやま)
標高60m
鮎川地域村落状況
今日の海岸は、ホエールウオッチングが出来る静かな海岸線で、震災の面影を見いだせない。
ただ空しさだけが残る。
2011/9/24鮎川地域生活道路復旧作業
法面が崩落し、電柱が大きく傾いていた。
作業終了し夕食
住民が避難して難を逃れた神社(後方の小山)
大原地区村落状況 村落は海岸に隣接
建物の土台のみ残る
2011/9/23 大原地域生活道路復旧作業
2011/9/23 大原地域生活道路復旧作業 土砂と樹木の根が作業を難航させる
A
@
B
D
D.鮎川地域道路
復旧作業
@.女川原子力発電所
B.市役所
今も残る瓦礫の山
大川小学校の裏山
閉会式
作業を終了しボランティアセンターに集合
C
C.ホエールランド
A.大原地域道路
復旧作業