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徳重さん追悼山行

人が死んで、葬儀や一周忌に人が集う。そこでは、久しぶりの再会や、その機会でなければ実現しない出会いも起こる。死者の側からみれば、それは死んだ人が、最後の奉公で逢わせてくれたともいえる。
 徳重さんの追悼山行、30名の会員に参加していただきました。これも別の面からみれば、徳重さんが集めてくれたのでしょう。楽しく、安全に、仲良くやれよと伝えたいために。その思いをしっかり受け止めようとも思いました。
 準備が不十分で、仕事の分担等が偏ったりで、ご迷惑をおかけしました。にもかかわらず、気持よく協力を頂いて、感謝です。混雑する山だと、30名の集団は他の登山者の迷惑ですが、その心配がなかったこと、天気が良かったこと、何より多くの会員の交流ができたことでリーダーとしてはホッとしています。  (O野記)

 私は徳重さんとの山行経験が無くとても残念に思っています。今回の追悼山行で少しだけ徳重さんの好む山に触れられたような気がしました。地図読みも勉強しなくては。お酒が好きだった徳重さんの命日らしく皆でお酒も、会話も進んでいたように感じました。計画してくださった方々ありがとうございました。思い出に残ります。(I田記)

 天気も良く、麓から見る景色はやわらかな黄緑色の木々の春色の風景だったが、新三郎の頂上から見える景色は緑濃く夏色を呈していた。頂上には大きな蝶が一匹飛んでいた。この時期、これほどに大きな蝶が、この高さの山に舞っているなんて驚き! 頂上は風もなく暖かで、太陽の日差しが暑く感じるほどだった。お地蔵に化身した徳重さんのそばで、皆で鍋を囲んで食べて騒いで、賑やかで楽しいひとときでした。 (O川ゆ記)

ふと、錯覚を覚えました。天国にいるはずの徳重前会長さんが、若しかして一緒に歩いている!? 私も含め、みなさんの笑顔が何か故郷に帰ってきた時のようにおだやかで、そして活き活きとして・・「徳重先輩 ありがとう」思わず心の中で、そう呼びかけていました。(M田記)

 昨年のこの日を振り返ると悪夢が再現するようだ。代ゼミ前に集合すべきリーダーが現れずメンバーと連絡を取り合った所からこの悪夢が始まった。この日も今日と同じように晴天で気温も時間とともに上昇してきた。徳重さんを発見した時の衝撃と「これから会はどうなるんだ!」という不安が脳裏に渦巻いたことを鮮明に記憶している。
 振り返れば17年前の1月に入会し鍬柄山の新年ハイクを皮切りに3月には本格的雪山、足拍子岳の体験を初め、多くの山行に参加して、技術、装備等の使い方等、多くの指導を受けてきた。
 「徳重さん、貴方はぶっきら棒で、お世辞もなく、取っ付きにくさがあるのに、何故か人を引き付ける不思議な人でしたね。」
 今日は一年前に登る予定だった新三郎の栂峠に会員30名が登り、追悼式が無事終わったことを心の中で報告し、同時に大宮労山が安全に発展するよう見守ってくれることをお願いした。(U田記)

徳重さんとの山行は沢・雪山・アイスクライミングの記憶ばかり。今回のようなハイキングも楽しんでいたのですね・・・メジャーなルートを好まない徳重さんらしい・・静かな穏やかな山歩きを楽しみました。  (I村記)

2014518日   十石峠・新三郎山

前会長徳重さんの一周忌となりました5月18日、会員30名が集い追悼登山が行われました。行先はその日徳重さんが計画していた十石峠。

晴れ渡る青空のもとルートを探しながらの登山。新三郎山登頂後、栂峠にて祭壇を設え黙祷・献花のセレモニー。そして恒例の豚汁昼食会。和やかな会員達の姿を空から眺めて、徳重さんホッとしたでしょうか? それぞれの心に深く刻まれた山行となったことと思います。

今日は徳重さんが最後に計画された山へ30人で来ました。新三郎山頂はシャクナゲ、ツツジ満開。まわりもツツジ、シャクナゲのつぼみ。これを夢に見てねむったんでしょうね。……合掌    (W部記)

 お天気に恵まれ久しぶりのバスハイクで、たくさんの大宮労山の仲間と徳重さんの追悼山行に参加でき嬉しかったです。実行委員の皆さん、大変お世話になりました。同行していただいた皆さん、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。  (M浦記)

 新三郎の頂上はシャクナゲとアカヤシオの花がとてもきれいで感激しました。徳重さんの追悼山行らしいいい山でした。これからも徳重さんの事を時々思い出しながら、楽しい山行をしていきたいですね。 (U神記)

 道があるような無いような斜面を、ルートを判断しながらの山行は徳重さん追悼山行にふさわしかった。係りの人達の心のこもった追悼集会、昼食会もすばらしいものでした。  (S藤記)

人間の思い込みはあてにならない。最後に新三郎に登る時、殆どの人が前に見えているピークが新三郎と思って行動していたが、実は違っていた。本当に今回の山行は最後まで気が抜けない良い供養が出来た山行でした。(K坂記)

今日は快晴そして風も無く、新緑のさわやかな小路を歩く。そう今日は亡き徳重さんの一周忌。30人なる集団で借り上げバスを利用し、自家用車による参加も。昨年亡き徳重さんと会員数名、この地を()訪れようとした朝、徳重さんのみ集合場所に現れず・・・。
 早いもので1年が過ぎ会員も落ち着きを取り戻しそれぞれの山行をそれぞれに楽しむ方向に歩み始めた。これも徳重さんが会員の背中を、あるいは黙って見て見ぬ振りでそれぞれに指導をして来た賜物だろうと。そして今日、訪れようとしていた地に(山)皆で追悼登山を行った。もし昨年この地に徳重さんら会員数名と来ていたなら道迷い、地図読みなど面白いこぼれ話が聞えただろうと。残念の一言です。どうぞ安らかに。私達会の紳士淑女は今まで同様にそれぞれの山行を楽しんで行きます。どうぞ天から安全を見届けて下さい。 (A島記)

みんなで行ける山でありながら、一捻りしてある徳重さんらしいルートだなと思いました。(T塚記)

追悼山行なのに楽しんでしまいました。わかりづらいルートでしたが徳重さんの計らいで天候に恵まれアカヤシオも綺麗に咲いていました。一年は長いようで短かく感じました。お酒と山、徳重さんらしいですか! これからも安全山行見守ってください。H竜記)

 徳重さんの追悼山行にふさわしいルートでした。道迷いあり、ハプニングありで徳重さんも苦笑いしてたかも。仲間でセレモニーを行い、お酒も酌み交わし追悼できたこと、担当者に感謝します。
     (H
谷川記)

 一年があっという間に過ぎてしまいました。山は新緑の季節を迎え、何色ものやさしい緑がふあ〜っと全身に染みわたります。大宮労山は皆で頑張っています。徳重さんはあちらでも忙しいでしょうが、高見の見物して下さいね。  (S々木ま記)

好天に恵まれた徳重さん追悼山行が出来ました。早いものもう一年たちました。もう少し山に対しての指導を受けたかったが残念である。しかしありがたいことに大宮労山には各分野のエキスパート会員が在籍しており徳重さんの意志を引きついで頂いております。今回はバスをチャーターしての山行で、帰りにはバス後方に陣取った一部の面々が飲酒エキスパート化し、何を勘違いしているのか酒盛り大会に豹変です。まあ、これには多少徳重さんは許していただけるでしょう。徳重さん…楽しい追悼山行ができました。ありがとうございます。(O川記)

お天気に恵まれ、いい追悼山行でした。3日連続の山行が続き最初の1時間はキツかった。新三郎山からの南アルプス、八ヶ岳の景色が素晴らしく、徳重さんの思いが詰まった山でした。皆さんお疲れ様でした。(S田記)

前の日の強風・寒気が嘘のように穏やかに晴れ渡った日曜日。流石徳重さん、みんなと楽しく飲みたかったのですね。いつもと変わらず、ハイキング後の大鍋&宴。私たち、何時でも徳重さんが遊びに来るのを待っています。(S々木じゅ記)

どこまでも優しく、深く、静かな、心の温まる追悼山行でした。「徳重さん、栂峠にお地蔵さんはありました。」      (K原塚記)

踏み跡も不明な山行は徳重さんの追悼にふさわしく、新緑とアカヤシオ、咲初めのシャクナゲの赤色が印象的でした。徳重さんと関わりを持った一人ひとりにいろいろな思い出を残されたのではないかと思いました。(S田記)

親指が開かなくなった。4便目を断念。久しぶりに二子の「おいしいよ」にトライうす。思いだしの登りで終わったが、登れそうな気がした。明日は、徳さんの追悼山行である。十石峠なので近い。上野村の国民宿舎「ヴィラセせせらぎ」裏の河原に向かう。無料の広いキャンプ場だ。国民宿舎は温泉で、河原にトイレもあり申し分ない。4件ほど泊まっている人がいたが、静かなところだ。隣にはヘリポートもあり、日航機墜落の対応もしたのだろうか。着いたのは19時半。温泉は20時までだった。以前は21時まで入れてくれたのだが、あきらめて夕食にする。二子から十石まではコンビニ等の店がないので、ご飯パックとインスタントカレーを買っておいた。遅くなるのはわかっていたし、疲れた体で時間をかける気にもならなかったのでちょうどいい。河原に銀マットを広げ、ガスカートリッジにバーナーヘッドをつけ、一人用のコッヘルでご飯とインスタントカレーを入れるとゴロリとした。空には星が瞬きいい気分である。途中で買ってきた酒を飲みながらゆったりした。
 一人なので車の中で寝る。陽ざしがまぶしく目が覚める。いい天気で、暑いくらいだ。ゆっくり朝食を食べ、ザックに荷物を詰めて追悼山行の準備をして出発。9時過ぎには十石に着く。意外と肌寒いので、荷物を入れ替える。展望台からは360度のパノラマだ。新三郎山の方向を探るが、目の前の山に閉ざされてみえない。すぐに、M田さんとS々木さんが到着し、しばらくして大宮労山のマイクロバスが来た。中学校の林間のようだ。
 岡野さんを先頭に芽吹いた林間を入っていく。途中には、太いワラビが出ていて収穫する。ワイワイいいながら栂峠につく。群馬と長野をつなげる峠で、お地蔵さんが見守ってくれていた。その前で徳さんの写真を奉り追悼を行った。いったん荷物を置いて、新三郎山に行くと、ピークからは、二子、両神、甲武信、甲斐駒、八ヶ岳と見晴らしがよく気持ちがよい。記念撮影をしていると、アゲハチョウが飛んできた。頭に止まったり、枝で休んだりと楽しそうに舞っていた。甲斐駒をバックに写真を撮ったが逃げていかない。徳さんが合いに来てくれたようだ。これからも、いい山を楽しみたいと思った。徳さん、ありがとう。 (S
木記)

徳さんの思い出にと大勢の参加者が参加され、本人も喜んでいると思います。また新三郎からの展望にも恵まれすがすがしい一日でした。  (K林記)

 いい追悼山行でした。
 徳重さん、思い出たくさんありがとう。旭の東稜一番心に残っています。今は山の風になって駆け抜けているのではないかな? いつまでもみんなを見守っていてください。(K端記)

徳重さんの好きだった群馬の山、それもただのハイキングではなく地図を読みながらの、少し緊張感のある山歩きが出来たのが、いかにも徳重さんの追悼山行にふさわしく良かったと思います。休憩場所にちゃんとお地蔵様があるところを選んでいただいたのも心憎い演出でした。他の誰にも邪魔されず大宮労山の人たちだけで、ひっそりとセレモニーを行えたのも、この山を選んだからこそかもしれません。新三郎山の頂上からの眺めは素晴らしく、また石楠花やアカヤシオが綺麗に咲いており思いがけず花も楽しめました。五月らしい清々しい気候で晴天にも恵まれ最高の一日を 過ごす事が出来ました。幹事の方々、色々と準備が大変だったと思いますが、このような素敵な企画をたてていただいて本当にありがとうございました。お陰様で思い出に残る追悼登山となりました。(I丸記)

栂峠はちょっとラフな、しかし、明るい気持ちのよい山道でした。徳重さんが亡くなってちょうど一年。あの日、この栂峠の山行を予定していた朝、亡くなったのですね。栂峠についてネットで見るとそれなりに人は入っているようだったので、30人という多人数が入るとどうなるのかと思ったが、この日は私たちだけ。誰にも会わなかった。静かな峠には小さなお地蔵さんが一体。ここで昼食をとることになった。豚汁を作っていただいている間、往復3040分の新三郎に登らせてもらった。新三郎の頂上は展望が良く、周囲はシャクナゲやアカヤシオの花が綺麗だった。戻ってくるとお地蔵さんのところに徳重さんの写真が置かれ、好きだったお酒とお稲荷さん等々が供えられ、そのお地蔵さんの前で鍋を囲んでの昼食となった。春の豚汁おいしかった!でも、徳重さん、お地蔵さんになっちゃったの? (T脇記)