戻る

1月27日に駿河湾・田子の浦で汲みおいたペットボトルの海水にいよいよ出番が来ました。海抜0mから登る富士山のパートUは8月25日出発と決まりました。

初日は東海道・吉原宿の宿屋に泊まるだけ。二日目からが本格的山登りで、この日は富士根本宮浅間神社(標高500メートル)から新六合目の宝永山荘(標高2500メートル)までの標高差ちょうど2000mを一気に登る計画です。私はこれを登る自信は、とてもなく、途中標高1600メートルのところで旧登山道が富士スカイラインと交わるところでタクシーの世話になるかもしれないと、リーダーのT川さんの了解を得てのスタートでした。

 富士スカイラインに出会ったところまでは心配した倒木も片付けられていて、まだ疲れもなかったこともあり、タクシーの世話になることも言い出しにくく、そのまま旧道に入って行きました。

しかし標高1800mあたりから勾配はどんどんきつくなり、数歩歩いては呼吸を整えなければならないほど。そのうち倒木の連続となりいよいよ疲労困憊。

しかしここまで来ては戻るわけにもいかず、がんばるしかないと自分に言い聞かせてがんばって、宝永山荘が見えてきたときには「ああ、登れた」とホッとしました。

 その夜中には強い雨が降りました。これでは計画は中止かと心配しましたが、朝起きてみると上々の天気でした。最初の計画ではこの日は一般登山道を登って九合目の万年雪山荘止まりで、翌朝頂上からご来光を見て降りてくるということになっていましたが、天気がよいので今日のうちに頂上を目指そうということにして、急いで出発。

 万年雪山荘に到着すると、きのうの疲れが残っていたのでしょうか、頂上を目指す元気が出なく「ここで待っているから二人で登って来て」と敗退宣言。しかしT川さんとT脇さんは「荷物を軽くして、登ろうよ」と盛んに激励してくれ、私も「それでは行けるところまで行こうか」という気になって再び登り始めました。

 以前、吉田口から登った時には最後の一、二合目の登りが大変きつかった記憶がありましたが、今回は意外にも楽に登れました。

 さて、今回の登山の重要な儀式があります。最高地点に立つ石碑「日本最高峰富士山剣ヶ峰参七七六米」に田子の浦から汲んできた海水を注ぐことです。ちょうどこの時、どこかの旅行社の登山者の御一行様の到着で周りはごった返していましたが儀式は粛々と滞りなく終わりました。(しかし、ぬかったことが一つ、せっかく田子の浦で詰めてきた海水を家の冷蔵庫に忘れてきた人が約一名でした。)

 今回の富士登山はまったく自信がありませんでした。しかし、T川さんとT脇さんの励ましでどうにか頂上に立つことができました。本当にありがとうございました。    (Yo.S記)

そして、最高峰「剣が峰」に向かう 

村山浅間神社出発

九合目の宿に戻り、
   それぞれの富士山猪口で乾杯

0mから登る富士山(パートU)

       二人のさんに励ましで登頂

山行実施日;8月25日〜28日
参加メンバー;Yo.S、Ky.T、Ka.T