それぞれの甲斐駒ケ岳   2012.10.78

戻る

山行実施日;10月7日〜8日
参加メンバー;Yo.S、Lantana、To.F、hama、Ma.S、To.S、Ki.S

 甲斐駒ケ岳は登山愛好者であれば一度は登ってみたいと思う山です。この会にもそう思いつつまだ登っていない会員が相当います。今回そういう会員六人を誘って、甲斐駒ヶ岳に登ってきました。
 私がこの会に入って間もなくの頃(15年くらい前になりますか)、8月のお盆休みに甲斐駒の計画を立て出かけました。ところが中央高速道の渋滞に巻き込まれ、初日に広河原に予定外の宿泊を余儀なくさせられてしまいました。そして翌日村営バスで北沢峠まで入ったのですが、一番バスの出発時刻が遅くて駒津峰で時間切れとなり甲斐駒登頂を果たせず、みんなをがっかりさせてしまいました(私自身は、その後今から7、8年くらい前だったか11月の雪が積もり始めた頃、黒戸尾根から甲斐駒のピークを踏むことができました)。
 今回、15年前にがっかりしてしまったSさんも含めて計画通りの山行ができました。天気はよかったし、仙水小屋にも宿泊できました。しかし、私自身は頂上まで標高であと100メートルくらいのところで登頂を諦めました。登りきろうとすれば登れないことはなかったのですが、下山路の長いことを考えると、ここで体力を使い切ってしまって他のメンバーに迷惑をかけてはいけないと考え、みんなの降りてくるのを待ちました。リーダーが他のメンバーとともに頂上を踏めなくてはその資格がありません。体力の衰えをまたまた感じさせられた山行でした。これからは個人で行くときは別にして、ハイキング山行に徹しようと思っています。(Yo.S記)

 4時40分ヘットランプをつけ出発。これも初めての経験だ。夜道を歩いたことがない自分はドキドキ。まして足場の悪い登山道。Ma.Sさん先頭で仙水峠に登る。途中で登山道をはずれ、迷っていた数人の登山者を発見。ヘッドランプだけが、我々とは違う岩山をどんどん進んでいた。「こっちですよ」と叫ぶMa.Sさん。よくわかるなー、と、感心した。これって、長年の登山の勘ですか。仙水峠で空が白々とし、夜が明けたようだ。ホッとした。目の前にガレキのような岩山が高くそびえていた。あれが摩利支天、その奥が甲斐駒ガ岳と教えてくださった。私の憧れの山はあんなに恐ろしい姿だったのかとビビった。それでもなんとかなるだろうと、駒津峰に向かって進むが、岩場の急坂の連続に苦しめられた。それでも仙丈ヶ岳や鳳凰三山、その右に富士山が見え、嬉しくて、なんとか皆に助けられ、駒津峰のピークについた。良い天気で360度の大展望。憧れの山はますます恐ろしく盛り上がっている。

 日本には「駒が岳」という名前の山はいったい幾つあるのか、とても興味をもっている。そのひとつ「甲斐駒が岳」という山をSさんが計画してくださった。しかし、私、今年の夏の暑さ負けで体調が悪い。無理とわかっていたが、どうしても行きたかった。行けるところまで行こうと、決めていたが、リーダーのSさんにはどうしても言えなかった。おいてきぼりにされたくないという思いで、ぎりぎりまで内緒にしていたことを、まず、Sさんにお詫びします。たくさんの薬をのみのみ出発。仙水小屋の夕ご飯はおいしいと聞いていたので、食べてみたかった。これも行きたかった理由の一つ。しかし、残念。胃腸が駄目。ご飯少しと味噌汁だけしか食べられなかった。味噌汁は地元でとれたヒラタケの味噌汁。ランチ皿にのっていたのは、刺身(カツオのたたき、たこ、ホタテ、カニ)きんぴらごぼう、エビしゅうまい、かぼちゃの素揚げ、わさび入り和え物、ポテトサラダが雲南百薬という葉っぱの上にのっていた。この雲南百薬という葉っぱはどんな病気も治すと聞き、一生懸命食べた。後、漬物。翌朝は3時半起床、4時朝食。こんなに朝早く食べたことなかったので、びっくりした。相変わらず、ご飯とみそ汁しか食べられなかったが、SさんとKi.Fさんはご飯おかわり。これまたおどろいた。

駒津峰の六方石のコルから巻き道コースに入り、昼食を食べた。お腹がいっぱいになってしまったのか、その後の登りはすごくつらかった。花崗岩の真っ白い砂の登りは一歩足を踏み入れるたび、ズルッ。がんばっても頑張ってもズルッと、下がってしまう。苦しかった。ようやく山頂到着10時。まず、たどり着くなり、腰をおろして、水を一杯。ホッとした。山頂は広かった。直登コースはどこかな、と、見ると、傾斜がきつい。これは下りにはちょっと。どんどん上がってくる人を見ると、どの人も疲れていそう。10時20分下山開始。仙水小屋で出会った見知らぬ年配のおばさん二人が登ってきたのに、びっくり。よく来たなー。この二人とは帰りの埼京線で偶然また出会ってしまった。自分たちは甲府から特急の指定席に乗ってのんびり過ごしたのに、この二人は同じ特急の自由席、満員で新宿までずっと立ってきたという。すごいねー。仙水小屋の御主人に甲斐駒の山頂に10時30分までにつかないと、北沢峠からのバスに間に合わないよ。と、教えられ、必死で歩いた、と、言っていた。駒津峰からの下山は本当に長かった。初めての甲斐駒ガ岳に登れたことは私より美子さんの方が喜んでいるのではないでしょうか。(完走はしてないけど)Sさんのご協力のおかげで成し遂げることができましたことに感謝いたします。(To.F記)

 夜19時消灯、翌朝3時半起床、4時朝食の仙水小屋から4時40分出発。出だし快調、中盤ペース遅れ気味、後半バテバテ。やっとの登頂、14時50分に北沢峠に降りる。登頂後頭痛がして高山病になってしまった。体力的に厳しい山でしたが登頂できたことに感謝・感謝。(To.S記)

甲斐駒ケ岳には1996年に登っています。41歳の時です。その時は北沢峠にテントを張り一日目に栗沢山、二日目に甲斐駒、三日目に千丈ケ岳に登っています。懐かしさいっぱいで山行に申し込みました。
 昭文社の地図(1994年版)には仙水小屋から仙水峠経由登り3時間40分、下り双児山経由北沢峠に2時間半と書いてあります。しかし実際は…登り5時間20分(+1゚:40')下り4時間45分(+2゚:15')かかりました。ため息…
 前回登った直登ルートも避けて迂回ルートにしました。もう昭文社の時間×2で行くしかないのかな。ともかく無理せず80まで登りたい?と決意新たにした甲斐駒でした。(Lantana記)

 この先は少しは楽になるかと、期待していたが、とんでもなかった。岩場のヤセ尾根を下ったり、登ったり、私の前にKi.Fさん、後ろにわが夫にガードされたが、目の前がクラクラ、いろいろな思いが頭に浮かんで、もう頭が、胸が、パンクしそう。可愛い孫の成長やまだ私は死にたくないという思いで胸がいっぱいになって、「六方石のコル」でギブアップ。六人を見送った。待つこと2時間。ひっきりなしに登山者が通り過ぎ、飽きることがない。若い山ガール、山ボーイ、小学生も。中にはスニーカーの子供が、ツルツル滑りながら、直登コースに突っ込んで行った。年配者の登山者はあまり見受けられない。この山は若者に人気なのだ。午前11時をすぎると、これから山頂に向かっても北沢峠からのバスに乗れなくなるからと、山頂に登ることをあきらめ、退屈している私のお話相手をしてくれる人も現れた。しばらくすると、我々の仲間六人が元気にもどってきた。今年70歳の夫も無事帰還。嬉しそうな夫の顔を見たときは胸がいっぱいになった。私は、山頂に立てなかったが、長年の夢、願いを夫がかなえてくれたことに感謝しています。「偉かった」とほめたたえ、しばらくは優しくしてあげよう。帰りの特急の指定席でビールで乾杯。いつも眠ってしまう二人なのに、なぜかこの日は二人とも興奮して、眠れなかった。(hama記)