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恵那山      撤退でも  自分たちで道をつけられて満足

12月24日土曜日)

大宮(21:00)/川島IC/中津川IC/給油/欅平キャンプ場(2:00)【車中仮眠】 

12月25日(日曜日)

 欅平(7:00)/強清水(7:10/8:40)/林道から登り(9:30/9:45)/行止り林道(10:00)/林道から登り(10:15/10:30)/鳥越峠(11:40)/P1594(11:50)/ウバナギ崩壊地(12:35)/P1695大判山 (13:40/テント設営/宴会/就寝(18:30)【テント泊】

強清水で雪は20p位、トイレと四阿屋があり、駐車5〜6台は可能。荷を分けるが、Tさんが7人用テント本体とポール、いつもながら頭が下がる。
 鳥越峠への取り付き、追分を探しながら林道を行くが、手前の赤布で間違え、少し藪こぎのアルバイトを強いられた。林道に出たところで、地図とGPSで位置を確認し、追分を目指す。
 追分からは沢状の樹林の中のジグザグ急登、展望はなし。雪は20p位。小雪が降っている。

鳥越峠で、神坂峠からの道と合流して、尾根を行く。1594mと1696m位のピークは南東側に巻き道があり、平坦な道を行く。ウバナギ崩壊地あたりで尾根にあがり、大判山を目指す。相変わらず小雪、風もあるが、行動に差し支えるほどではない。
 大判山頂上が、平坦で、三角点を避けてテントを設営出来た。夕食はTu.Tさん考案のキムチ鍋、豪華。

12月26日(月曜日)

起床(3:30)/大判山(6:40)/ワカン装着(6:50)/P1820(8:30)/天狗ナギ(9:10)/P1972(10:35)/合流点(12:50)/断念地点(13:15)=下山=合流点(13:25)/P1972(14:15)/天狗ナギ(14:40)/P1820(15:00)/大判山(16:00)/宴会/就寝(20:30)【テント泊】

雪が膝くらいまでになり、ワカンを付けた。大判山を下り、1820mピークの登りあたりから、傾斜もあり、ラッセルがきつくなる。気温も−10度以下で寒く、ラッセルの順番が待ち遠しい。指に穴のあいた手袋で、感覚がなくなってきて、手袋を替える。
 ラッセルを交代しながら、1820mピークを過ぎ、1972mピークを目指す。傾斜も強まり、所々、雪面が顔近くなる。1972mピークを過ぎてからは、時間が気になりだし、GPSの高度表示と時計の睨めっこになる。14:00までには頂上に着きたい。

西から上がる尾根と合流した。標高2170mだ。時間は13:00。夏の標識があり、頂上まで40分(記憶が正確でない)。頂上へ向かう。傾斜はなくなったが、腰くらいの雪で、雪が重い。1時間では無理と判断、引き返すことにした。

帰りは道もあり、順調だったが、大判山の登りは、疲れた。ぎりぎりだったかもしれない。頂上へ行っていると、さらに2時間は必要。テントに戻るのは18:00過ぎ、疲労も考慮すると、撤退も仕方なかったと思っている。残念だけど。

夕食はGさんが腕をふるったドライカレー。これも美味。食後、50年を超える人生を真剣に生きてきた人たちの、個性がぶつかった。

テント場の夜明け

最終地点で

12月27日(火曜日)

 起床(4:00)/大判山(7:35)/ウバナギ(8:00)/P1594(8:50)/鳥越峠(9:05)/林道(9:40/9:55)/強清水(10:35/11:15)/湯船沢温泉(11:40/13:00)/昼食(14:00)/中津川IC/大宮

昨年の仙丈同様、帰る日は絶好の登山日和となった。恵那山が長い頂上を横たえている。昨晩は膝が痛み、よく眠れなかったが、痛みもやわらぎホッとする。
 温泉につかり、疲れをほぐし、昼食を食べて帰宅した。

振り返ってみると、安達太良、仙丈、日光白根、今回の恵那山と冬山は4回連続途中撤退。でも今回は、自分たちで最初から道をつけられたので、まあ満足。

山がだんだん億劫になる、でも山に行かないと空しくなる。人との付き合いも時々わずらわしくなる、でも人から離れるととても寂しくなる。どうにも勝手で、わがままな自分が目に付くようになった。年なのか、メッキがはがれ、もともとの素性があらわになったのか、その両方なのか。自分との付き合いに手を焼くようになった。*行動時間は小林さんが作ってくれました。)       (Zu.O記)

山行実施日;2011.12.24-27
参加メンバー;Zu.O、Hi.T、Ry.K、Na.G、Tu.T、Sa.H、Te.I

恵那山