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今回の山行計画は、当初北アルプスの蝶ヶ岳であったが、天気予報によると裏日本沿いに強い寒波の襲来予報が出された。このため寒波の影響が少ないと思われる、南アルプスの仙丈ヶ岳への計画変更となったものである。
 大宮を出発し一路伊那へ、高速は渋滞もなく順調な行程であったが、小淵沢近辺から積雪によるチェーン規制が始まりノロノロ運転を余儀なくされた。伊那ICから市野瀬を通過し、田城高原からの林道を利用するショートカットを狙ったが、林道のゲートが施錠され道路が封鎖されていた。しかたなく柏木に戻ったが、柏木から先の林道は「関係者以外の入山禁止」の看板が施されていた。このため柏木の無料駐車場からの登山となった。この駐車場は、地元有志により管理されているそうだ。感謝!駐車場には我々のほか誰もいない。5〜6台程度は駐車出来そうなスペースがある。

1日目】
 天気は快晴・無風で穏やかな登山となった。登山道はパウダースノーの新雪を踏みしめての登りとなり、快適そのものとなった。この登山道は林道を3回ほど横断している、林道には今日通過したと思われる車の轍がしっかりと残っている。残念だが地元の猟師たちが使用していると思われる。
 登山道は樹林帯の穏やかな登りが続き、展望の望めない登山となった。このコースは普段から登山者の少ないコースであり、我々のみの入山であった。 
 テント設営予定の松峰小屋には到達することが出来なかったが、松峰を少し通過した付近でのテント泊となった。テント設置後夕食の準備となったが、この時ハプニングが発生!
 コンロ1台のホースが本体に溶着し使用不能になっていた。幸いコンロは2台あり、この1台による食事準備となった。後日(2日後)判明したことだが、使用可能なコンロも、本体の樹脂?部分が劣化していた。この後どの程度まで使用できるかは不明であるが、あまり良い状態でないのは確かである。「全てのコンロを再点検すると共に、使用するときには状態の確認を励行する」との話が上がっていた。

【2日目】 
 リーダーを中心に朝3時に起床し、その日の天候を確認しての山行計画練りなおしを行なった。この時は生憎風が強く天候不順であったため、仙丈ヶ岳アタックは中止となり、地蔵岳を通過した標高2400m付近にテントを移動し3日目にアタックを賭ける事になる。テント設営予定場へは4時間程度なので再度就寝。
 6時ごろ起床し朝食後テントを撤収終了ごろになると、風が穏やかになり絶好の登山日和となるが時すでに遅く、計画通りテント設営場所に向かう。アイゼンは途中から装着した(記憶が曖昧です)。
 晴天の青空と雑木の枝に付着した雪の白さとのコントラストが眩しいほど美しい。そよ風に粉雪が舞う時はダイヤモンドダストのようにキラキラと輝いていた。
 深い樹林帯だが、落葉しているため樹木の隙間からの木洩れ日が心地いい登山となった。しばらく登ると、木々の隙間から鋸岳が望まれた。全てが美しく感じられてくる。 
 標高2400m付近の風が当たらない場所にテントを設営する。この日は、テントで寝ていると息苦しさを覚えた、高山病?私以外にもOUTも同様な事を言っていた。この原因は酸素不足が考えられるようだ。

 @.炊事の脂分がテント本体に付着し、透湿性能の低下。
 A.テント本体の結露が凍結し、透湿性能の低下。
 B.テント本体とフライが凍結により密着しての透湿性能の低下。
「このテントも年季が入っているのでそろそろ取り換え時か!」との意見も飛び出した。

【3日目】
 登頂成功を願うように、名シェフIさんによる豪華な朝食。シイタケ、小松菜などの様々な野菜にゆずを添える至れり尽くせりの雑煮を振舞ってもらう。今後はIさんを中心とした食事計画となるのか?
 テントを出ると晴天微風。中央アルプスが正面に鎮座し、山頂が積雪により神々しい姿が一望できた。もうすぐ日出となるが時間がない。中央アルプスをバックに集合写真を撮り出発する事となった。
「中央アルプスに朝日があたっている」綺麗だ。
 今日はアイゼンを装着しての登山開始となる。最初は30cm程度の積雪であったが、途中からつづら折れの急登となり腰を超える積雪をラッセルすることになる。Hさんからラッセルの指導を受ける。「膝に体重を乗せて雪を圧雪し、その圧雪した場所に足を乗せて進む」確かに進む事は出来るが、非常に体力を消耗するのとスピードが上がらない。直ぐに交代をお願いする。
 後方に移動して進むが、先頭が圧雪したラッセル跡に私が足を置くと圧雪した部分を踏みぬき潜ってしまう。なぜ?「新雪だから圧雪しきれない」「何人か歩いた後に踏みぬく事がある」「歩き方が悪い」「重量級だから」などの意見が出た。
 標高2600m付近で谷沿い出る。「雪崩れるかな」「ここは大丈夫だろう」ここをトラバースする事となるが積雪はさらに深くなり、体が雪に埋まってしまう。登山ルートは無視して、雪の少なさそうな部分を直登するが、傾斜がきつく新雪を相手に泳いでいるようだ、もう体全体でラッセルしている。ラッセルの交代頻度を上げて進むがなかなか進まない。やっとの思いで尾根に出られた。雪に埋もれた這い松の上を歩いたが、この下はどのような状態なのか分からない。足を踏み抜いたら空間だったりして?
さらに急登が続き、シャクナゲの枝を踏みしめての登山となった。新芽も見えているが。ごめん!心が痛む。人間はやはり自分勝手な生き物であることを実感しながらシャクナゲの新芽を踏みつけていた。
さらに進むが気温の低下(−20度)と風が出始めたため小休止。寒さを訴える者が出始め、それぞれ重ね着等衣服の調節を行なった。
 私は、ザックに入れておいたゴーグルを使用しようとしたが、結露により凍結して見る事が出来ない。ゴーグルはあきらめるよりない。

 これ以降は、冒頭での記載となりアタックを断念することとなった。

【4日目】
 今日は撤収の日、順調に下山を行なう。
柏木付近まで下山し、後ろを振り向くと仙丈ヶ岳の優雅な姿を見る事が出来た。登頂は出来なかったが、貴重な体験をさせて頂いた山行であった。

【凍傷】
 温泉入浴後、足の指がジンジンするような違和感を覚えた。「それは軽度の凍傷、変色していないから特に問題はない」との事であった。
 私の靴は3シーズン用であり、今回の山行前に靴の検討はしたのだが、登山店では「年内なら3シーズン用で大丈夫。極寒は2月以降ですよ」とのアドバイスを受けたので、今ある3シーズン用の靴にて山行を行なった。
初日から足の指の冷えは起こっていたので、意識的に足の指を靴の中で動かしていたが、いくら動かしても暖まることがなく軽度の凍傷を負ったものである。

登山計画:1日目 12/25(土);大宮発→伊那市市野瀬→松峰小屋(泊)
     2日目 12/26(日);松峰小屋→仙丈ヶ岳→松峰小屋(泊)
        3日目 12/27(月);松峰小屋→大宮  

実施工程:1日目 12/25(土);大宮発→川島IC5:30→伊那市柏木10:20→登山口11:00
                        松峰小屋手前キャンプ地16:30、標高2000m(泊)
     2日目 12/26(日);松峰小屋手前キャンプ地9:40→地蔵岳を超える→
               キャンプ地
14:10標高2400m(泊)    
     
3日目 12/27(月);キャンプ地6:40→仙丈ヶ岳アタック→敗退11:20→キャンプ地14:00
     4日目 12/28(火);キャンプ地6:50→伊那柏木着13:10→高遠温泉14:00→大宮着20:30

最後になりましたが、私にとって初めての冬山およびキャンプ泊でした。致命的な怪我(足の指先が軽度の凍傷となりましたが!)もなく無事下山できたのは、共に行動して頂いた諸先輩方のご指導と、今回の山行には参加されませんでしたが、冬装備を持たない私に快く装備を御貸し下さいましたSさんのおかげと感謝しております。
 また、アイゼンやワカンの練習のためと黒斑山山行に御付き合い頂いたYo.Tさん、Tu.Tさん有難うございました。この場をお借りして御礼申し上げます。  (Ta.K記)

下山日の朝

   地蔵岳から仙丈ヶ岳   敗退そして凍傷

山行実施日;2012.25-28
参加メンバー;Zu.OHi.TTe.INa.GTo.USa.HTa.KTu.T

仙丈ヶ岳への最終アタックは、入山してから3日目の1227日であった。気温−20度、天候はガスが出始めてきた。稜線付近では浮石に新雪が付着しているので、足の踏み外しや落石に注意しての登攀となる。
リーダーは、パーテイが高山病に掛かっていないか確認し、それぞれ服の重ね着等準備を即して最終アタックを開始した。稜線に出るとガレ場となり、谷間からの吹き上げる風と雪に体が煽られる。体が凍結し、体力が削られて動作が緩慢となっている。
風は治まるどころか、ますます勢いが増し(感覚としては15/s程度)体温が奪われて行く、体感温度としては−30度近くあるのか?
正面に見えるのは、馬ノ背の稜線と仙丈ヶ岳北東部の稜線と思われる。雪化粧に日の光が当たり美しい姿を携えていると共に、登山者を拒み続ける荘厳さを垣間見る事が出来る。
山頂付近の雲は、激しい風により南から北方向に流されている。
仙丈ヶ岳目前の標高2850m付近(Sa.H氏のGPSデータによる)にて後方にいたリーダーからの制止指示が出る。リーダーたちによるしばしの検討の結果は「下山!!」。
「このまま進めば1時間程度で登頂出来ると思うが、体力の限界とベースキャンプへの安全な到着が懸念される事から登頂は断念する。」(1120分ごろ)