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   日光・湯泉ヶ岳〜根名草山

      栃木労山連盟の要請・尽力の新築避難小屋に泊まる


     山行実施日;
2010.06.11-12
     参加メンバー;Te.I.

 以前勤めていた会社のイベントで四十数年前に行ったことがあるのだが、記憶はすっかり無くなってしまった。また、念仏平の避難小屋も老朽化して、栃木県勤労者山岳連盟の要請・尽力で2008年秋に建て替えられたそうで、新築の避難小屋も楽しみで、避難小屋泊まりで行くことにする。梅雨に入る前にと準備を終え、天気予報と睨めっこ、出発日の早朝5時過ぎに計画書を提出して出かける。日光駅は曇り、乗合タクシーでいろは坂を上るとスッキリと晴れている。湯元温泉の入口で降りて、9時半に登山口がある金精トンネルへ歩き始める。緩やかな車道を歩くのは決して楽しいものではない。汗をしっかりかいた頃トンネル入口に到着する。先陣の車が沢山いる。案内板も奥鬼怒へのコースタイムは無く(管轄違い?)、ほとんどが白根山のピストンらしい。金精峠まで急登の連続、所々で崩壊している。金精山の崩壊している岩壁を背後に見ながら湯泉ヶ岳への道に入る。標高2000m近くから残雪が残っている。五月に大真名子山へ行ったときに残雪で難儀したので、今回はしっかりとスパッツを用意したが、雪が締まっていて踏み抜きが少ない。樹林帯に入り湯泉ヶ岳入口を左に曲がり暫く上って湯泉ヶ岳の山頂に到着する。
 遠くに尾瀬の燧ケ岳、至仏山、会津の山々が、その手前に今晩お世話になる念仏平の避難小屋が望める。ここでスパッツを装着する。縦走登山コースに戻り立木に付けた標識、そこかしこにぶら下がっている赤布・テープを確認しながら先に進む。湯泉ヶ岳を右に廻り込むようにして湯泉平に出る。また樹林帯の中を進み、避難小屋跡に出る。新しい小屋は此処から15(400)進んだところらしい。雪溶け水が流れている小川を渡り暫く樹林帯を進むとこぢんまりした新築の小屋が現れた。
 まだ木の香が残っているほんとに綺麗な小屋、二階もありそこには非常用に毛布とちょっとした着替えが、埃を被らないように覆いをかけて保管してあった。労山の救助隊らしい心づくしに感激する。まだ早い時間(13時)で、頑張れば奥鬼怒まで行けるが此処に泊まる(予定通り)事にする。本日も綺麗な小屋を貸切、水場がわからず(積雪で)雪を溶かして水を作り、早速宴会に入る。

 翌日も快晴、昨夜サッカーワールドカップを聞いて少々寝不足気味だが元気に5時40分に出発する。残雪が思った以上に多い。タクシーの運転者の話では四月末に中禅寺湖周辺にて一晩で40pの積雪が有ったそうで、こんな事は滅多にないとのこと。そのせいで花芽が雪にやられて、今年の日光のお花は良くないそうです。広い樹林帯の中を、標識・赤布・テープ、消えかかっているトレースを確認しながら進む。残雪時、標識などが無いとたぶん道迷いを起こすだろうと思えるくらい、樹林帯で展望もなくコースの判別が難しい。ヤセ尾根を登り切り、6時10分に根名草山に到着する。この場所を全然思い出せない。残雪が残っている急坂を下り、大嵐山の西側斜面を巻ながら下る。途中の尾根はシャクナゲが可憐に咲いている。手白澤温泉への分岐を見送り日光澤温泉に下る。日光澤温泉に8時到着する。此処は鬼怒沼を経由して尾瀬まで歩いたときに通過した。天気は最高、のんびりと奥鬼怒歩道を下るがハイカーが増えてくる。無口になりながらただ歩く。女夫淵温泉9時半着、9時50分発のバスがある。温泉にはいるのを諦めて体を拭いてバスに乗り込む。新緑がまぶしい、バスに揺られてウトウトする。鬼怒川温泉でも入浴時間前でまたもや温泉を諦め、手洗いで着替え弁当、ビール・酒を買って初めての特急・きぬ号でほろ酔い加減のまま帰宅する。梅雨入り前の山行、ほろ酔いで大満足だった。