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        埼玉の最高峰、和名倉山
              針葉樹林の平地で展望絶無

   

         山行実施日;2009.09.21-22
         参加メンバー;Yo・S(L)、Ka・T、Yo・T

         行程;9月22日:将監小屋テント場6:25・・・将監峠6:35・・・山の神土6:50・・・東仙波8:15/8:25・・・
                    川又分岐9:25/9:35・・・二瀬分岐9:58・・・和名倉山頂10:05/10:30・・・二瀬分岐10:43・・・
                    川又分岐10:50・・・東仙波12:10/12:20・・・山の神土13:25・・・テント場13:45


 訳ありで、昨夜、ここ将監小屋前のテント場に着いたのは19時ころでヘッドランプを使っての行動であったから周りの様子も分からなかった。朝が明けてテントから抜け出し周りを見回してびっくりした。10何年も前にこの小屋に妻といっしょに来て泊ったことがあった。当日、小屋番は不在で自称写真家という老夫婦といっしょだった。その写真家は辺り一面に生い茂っているシシウドを写真に撮っていた。

 昨夜、テントを張ったこのあたりはシシウドの群落地だったのだ。将監峠に通じる山道の両側は笹が生い茂っていたはずだ。その笹はすっかり刈り払われ、斜面の小屋に近いところが段々畑のように作られたテント場に変わっていたのだ。
今日(9月22日)は何とか天気は持ちそうだ。テントは張りっぱなしにして、行動に必要なものだけをザックに詰めて6時25分出発。急登を登り将監峠で奥秩父縦走路に出て、牛王院平を経て山の神土に着く。ここまでの山道の両側も広く笹が刈られている。何のためか分からない。ここから和名倉山への道に入る。2075bのピークの東側を巻く道だが、笹を踏みつけてできた道だから誠に歩きにくい。巻き終わって鞍部に出る。右側が開けていて西南方向に富士山、三峠山が見える。1974bとさらにもう一つのピークはこれを西側巻きやがて1983bのピーク(西仙波)に着く。ここまでの巻道は針葉樹の原生林で奥秩父に入ってきたのを実感する。西仙波周辺はシャクナゲの群落でそのシーズンはさぞきれいだろう。さらに笹の斜面を登り切ると東仙波(2003.1b)だ(8時15分)。南側が大きく開けている。

 ここから進行方向が90度変わってか北に向かって針葉樹のなかに入って行くが、やがて傾斜が緩み開けた明るいところに着く。一瞬牧場かと思うようなところだ。時々陽も差し気持がよい。雲取山も望める。どうやらここが山火事の跡地らしい。
さらに進んで1990bのピーク(吹上ノ頭)を西に巻くあたりから赤い岩が目立つようになる。放散虫というプランクトンの化石が海底に積もり積もってできた硬い石、チャートだと睨んだのだがあたっているかどうか。またこの辺から太いワイヤの切れっぱしの散乱が目につく。どうやら樹木を切り出した跡だろう。その近くには必ず太い切株が残っている。それも相当朽ち果てているから戦後間もないころのことだろう。広い鞍部に着く。ダケカンバが所々に立ち、開けて明るいところだ。八百平というところのようだ。ここも樹木を伐採した後のようだ。こういう所や山火事がもしなかったらこのコースは本当に暗い、陰気な山であったろうと思うと、山火事も樹木の伐採も悪く思う気になれなくなってくる。この八百平からは先に行く踏み跡があちこちにあり少し迷ってしまった。
八百平からは最後の登りだ。川又への分岐に出会う。Yo・Tさんは沢から登って来てからこの分岐から川又に下ったことを思い出したようだ。

さらに行くと二瀬分岐に出合う。この分岐をまっすぐ行けば二瀬ダム(秩父湖)に下る長い二瀬尾根に通じる。われわれは東に折れて和名倉山に向かう。地形図上ではその道は稜線上を歩くことになっているが実際の道は稜線の下をトラバースしている。千代蔵ノ休ン場という南斜面の明るいところに出るが、ここも樹木を伐採したところだろう。再び樹林帯に入るが、ほとんど平らで、倒木が多くガスに巻かれたら進行方向を失うかもしれないようなところだ。今日は天気も悪くなくそういうことにならずに頂上の三角点(2036.0b)に到着した(10時05分)。
 ガイドブックには「展望絶無。二等三角点が埋まる針葉樹林の小平地に秘峰の喜びをかみしめよう。」(山と渓谷社刊「埼玉県の山」)とあったがそれ以外の表現は見つからない。帰りは往路をそのまま戻って、テント場には13時45分に着いた。

 私には、県境の山を除いて埼玉県で一番高い山、和名倉山(標高2036b)を登り残していることが気にかかっていて仕方なかったが、これで気がかりが一つ消えってほっとしたところだ。
 今回の私の計画にKa・Tさん、Yo・Tさんが参加してくださって本当にありがとうございました。仲間がいなければ私一人では絶対に行けない山でした。そのうえ、共同装備のほとんどをお二人に担いでいただきお礼の言いようもありません。(Yo・S記)