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夜にはにぎやかに懇親会が行われ、翌日には7つの山行が実施されました。こうした行事を通して、また一つ会員の絆が深まったかなと思います。役員の方々、働き者の皆様、準備から何から、ありがとうございました。 (記 K端)

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何とか植樹祭を終えてホッとしています。実行委員会で記念の行事をと考えて試行錯誤し、小栗さんのアイディアもあって秩父市と協定を結んで実行できた植樹祭。 心配していた天気も快晴となり、思っていた以上の時間で終了、何だか拍子抜けもしたが、皆さん子供に帰ったような楽しそうな笑顔での作業に安堵しました。
心をこめて植えた木々の成長が楽しみですね。来年の下草刈り、管理をしっかりしたいですね。その時はまた大宮労山の会員の力が必要です、皆さんよろしくお願い致します。 (記 塩D)

事前に植樹の準備をしていただいた委員のみなさん、ありがとうございました。手際よく早くに終わってしまいさすがです。
どのくらい育っているのか来年が楽しみです。 (記 H谷川)

10月3日(土)大宮駅西口6時集合でK藤車・O川車2台で秩父28番札所橋立堂に向かう。現地では、すでに荷造りの割り振りが住んでいる。各自限定車に乗り込み現場に向かう。登山道で役所の方々が持ち込んでくれた工具を持ち沢沿いに登る。徒渉の際は、安全策でローブを張り、雨で流された道を鍬で補修したりして、会としての機動性が発揮された。一時間程で現場に到着する。 早速、植樹の作業を開始するが30本が不足している。道迷いで武甲山方面に向かってしまう等々あり時間の無駄が出てしまう。これも会の特徴……か。そこは機動力で、遅れた本数も一気に植樹が終わる。樹種のランダム差が若干悔やまれる。
1130分にはお昼時間。特製の料理には美味しくいただけまして感謝いたします。下山後、H竜さんお勧めのお風呂に向かうが65歳以上無料、他は100円よくぞ探したものと感心する。4時には浦山口キャンプ場に着く。洗い場では、女性班の有志が鍋の下処理の準備である。メイン食材は買出しに走っていて、風呂上がりの身には待ち切れず、そっとビールで乾杯を…。そのうちに、一杯が二杯三杯…と続き、野(家から)に放された犬(豚)のようにはしゃぎまくり二日酔いとなり、今後の反省と相成りました。 (記 O川)

県連の役員を担当し、また私自身新しい仕事を始めて、大宮の方たちと山行に行く機会が減ってしまいましたが、久しぶりに皆様の元気な顔を見ることができ、楽しい時間が過ごせました。また、集合時間に遅れてしまい申し訳ありませんでした。植樹に参加し担当役員の方、大変だったと思います。本当にご苦労様でした。場所もちょっとハードな所で面白かったです。それにしても皆さんよく飲むこと! 私も人の事は言えませんが、これが大宮の伝統でしょう。
植えた木が大きく育つことを願っています。皆さんありがとうございました。  (記 S水)

登山道の整備をする人、ポールを50本まとめて持ってくれた人、苗木やトウグワを持ってくれた人、鍋やガスや水を持ってくれてスープを作ってくれた人、全員で力を合わせた植樹。見上げれば青い空。大宮労山て素晴らしい。    (記 O栗)

50周年植樹祭並びに労山祭に参加出来まして、また一つ、仲間との思い出が増えました。山岳会って、山へ行ったり、会活動で催しをやったり、会務として様々な役割をこなしたりと、アイデアを出し、実際に動いてみて、更なる進捗の為に建設的な振り返りをする、そんな積極的な実働を伴う集団だと思っています。そういうアクティブで前向きな仲間と共に、来年も労山祭が出来たら! と楽しみにしております。        (記 M田)

大宮労山設立50周年記念事業の武甲山の植林に参加させて頂きました。
私は、登山がしたくて山岳会に入ったので植林に興味はありません。でも、大宮労山が五十年も続いていることは、諸先輩のご努力の結果であり、感謝と尊敬の気持ちは言うまでもありません。ですから、記念として植林をする事も、「そんなの登山じゃない」と水をさすことはせず、そういう気持ちがある人がやって頂ければ良いと思っていました。しかし、会長から「・・最大限の参加を要請します・・」の檄文が発せられ、これは参加するしかない。橋立堂の無料駐車場に集合して林道終点まで向かう。林道終点場所でオートバイを停め、荷上げ資材をもらいに行くと、食害防止ネットしか残ってなく、これをリュックサックに詰めた。自分の脚力からこの程度で丁度良いか、と思っていたら歩き出してすぐに「私は写真撮らなきゃならないから、この鍬も持って行って」と先輩から渡される。柄の部分は杖として使えたが、鉄の固まりは重かった。しかし、途中の救助隊員が道を作ってくれた斜面をトラバースする場所では、ピッケルの様に斜面に差して行けたので助かった。ヘロヘロになった頃に植林場所に着いて、ホッとした。事前に「食害防止ネットの支柱は長さ2mあり、どう運ぶかは工夫が必要」と会長が言っていた物は、先輩が一人で担いで登り切った。重さもあるし、長いし、持手が無いので大変だろうが、そのまま肩に担いで登り切ったのはすごいと思った。
植林作業は、穴を掘り、苗木を植え、支柱を立て、ネットを被せ、クリップとペグで固定する。作業自体は大した事は無いが、植林場所が急斜面なので移動が一番きつかった。
植林作業は、会長の心配を裏切り順調に進み、荷上げは1回で済み翌日に持ち越す事も無かったのは、大宮労山の皆さんの底力を見た思いです。月曜の新聞に記事と写真が掲載された。私は新聞記者にいっぱい写真を撮られたので載ると期待していたのだが、残念だった。でも、天気もよく、事故も無く、午後から鍾乳洞の見物と、シャワーをする余裕もあり、女性陣の力作の鍋料理も頂けて大満足の労山祭でした。                                             (記 K藤)

木を植えること、林を作ること、森になること。大きな自然の循環のお手伝いが少しでもできたこと、山岳会だからあの場所に植えられたこと、いつまでも大切にしたい場所、これからも広げていきたい森の命。
一瞬の輝きが連続して永遠でありますように、永遠の輝きがたくさんの生きとし生けるものの一瞬のきらめきのリレーでありますように。
5年、10年、15年、50年、100年。あの場所はどうなっているのでしょうか。きっと、誰かが木を育てている。 あの場所にふいていた風は、あの日のままに。人が自然の中で、地球に生まれた人として生かされていますように。    (記 U村)
                                  
植樹というのは、初めて。木を植える経験ができたことは、貴重な経験が出来たように思いました。秩父市の方の話では、今の登山道よりの旧道の方が美しいとのこと。今の登山道は杉林の中を行くのですが、旧登山道は沢沿いを詰め、落葉樹が脇を登っているということ変化に富んでいるようです。植樹したところは、伐採された跡地に桜や楓、くぬぎなど植えましたが、旧道が復活することを期待しますね。また、夜の交流会も、みなさんの話を聞くことができ、小林さんの話や八海山の入道沢の話が出来たことはうれしかった ですね。
二日目は、奥多摩のとある岩場でフリークライミングを楽しみました。久しぶりに、「曼珠沙華12a/b」の12台をRPできたことはみなさんのエネルギーをいただいたからでしょうか。ありがとうございました。
植樹・労山祭の準備をしていただいたみなさんのご苦労に感謝致します。 (記 S木)

とても明るい森の中でホッとしました。とても楽しみがふえました。秩父が急に身近に感じられました。現地で努力してくださった小栗さん、また、何度も足を運んでくださった役員の方々、ありがとうございました。 (記 福D美)

10月3日、50周年記念行事の植樹祭が行われ、思ったより早く終わりました。道無き道を若手が手早く道を作り、危ない箇所に石を入れ、ロープを張って下さったお陰です。5年間、下草刈等で年に2.3回手入れする約束。又楽しみですが、あの危険な場所が気になります。                           (記 渡B) 

植樹現場に向かう時出遅れたが、前に人影があったので、追って行った。前の人に追いついた時は、その前にも団体が見えていた。ところが、荷物を直したか何かをした後に前の団体を見失った。今回作業現場の場所について良く解らなかったが、集合場所からは付いていけば良いと安易に考えていたので、しまったと思ったが、道は1本だろうと思っていた。しばらく行ったところで「進入禁止」のロープがあったので、前の人と少しは迷ったものの、「進入禁止」に入ったとは思わす、山に向かってしまった。少し行って、全く人気が無いのでおかしいと思ったが、みんな歩くのが速いのだろうと思ってかなり登ってしまった。 
探しに来てくれた人について戻るともう随分作業は終わっていた。何本かまねごとをして「くわんたい」とやらを設置し、昼を食べて植樹祭は終わった。感想ですか?「私が作業したら、あっと言う間に終わった。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夜の大宮祭では実行委委員の方々お世話になりました。宴会盛り上がっていました。芋も肉も最高!朝食に至るまで、食事の用意文字通り御馳走様でした。   (記 谷W)

一本だけ、自分の手で植えて来ました。一日では終わらないかもの心配をよそに、50本の植樹が午前中で終了。山ヤの力、恐るべし。これから大宮労山と共に、50本の苗木がしっかり根を張り、育つ事が願いです。  (記 S々木M)

50周年植樹祭並びに労山祭に参加しました。やはり、会員全員で参加出来る行事があるって、大切なことですね。普段の山行ではお会いできない人との関わりは、総合山岳会において、有意義な時間であることを実感いたします。これからも、植樹のメンテナンスを含め、公開ハイキングなど楽しみです。2年続けて労山祭のお手伝いをさせて頂きました。最後に会計が大幅に赤字になり、会費から補填してもらう結果となりました。ご迷惑をおかけした事、この場をお借りしてお詫び申し上げます。             (記 S々木Z)

植樹なんてやってことがないから作業手順とか全く判らない。判らない中で色々考え、当日に臨んだ。遅れてきたものだから苗は皆他の人が背負っている。残ったのは鹿除けネット「くわんたい」を支えるためのグラスファイバー製のポール五十本。長さは二メートルちかいし、一本の重さが二百グラムとしても十キロはあるという厄介なものだ。しかたなく天秤棒形式で担ぐ。滅茶苦茶汗かきました。
道中、感心したのは道が流されて沢を横断しないといけないところで、H竜さんがロープを掛けたことと、鈴Kさんが石を沢に投げ込んで足の踏み場所を確保したこと。やはりこの二人のバリリーダーは大したものですね。
植樹自体は五十本の植樹に対して三十人の人が参加したことにより短時間で終わって本当によかったと思います。                      (記 H高)
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創立50周年記念植樹を終えて
大宮労山会長

103日、少し暑い秋晴れの空の下、会員27名とその家族1名、秩父市現旧職員3名計31名で、秩父市奥橋立地内の市有林に、ヤマザクラ20本、イロハモミジ10本、カエデ10本、コナラ10本計50本の苗木を植え、鹿よけネット「くわんたい」を苗木に被せて、植樹は終了しました。9月の豪雨で現地までの車道や、登山道が荒れ、不安もありましたが、苗木や用具は率先して運んで頂き、荒れた登山道は整備してもらって、大変順調に作業を進めることができました。
ここまでの歩みを振り返ると、発端は今年1月の50周年事業実行委員会で提案された武甲山登山道橋立川ルートの整備でした。それを、秩父市に話したところ、そのルートは通行禁止にしているルートということで不許可。2月の委員会で、では植樹をとなり、再度秩父市の意向を聞くことにしました。そこからは、会員の小栗さんと、秩父市旧職員の青木さんが市との調整を担当してくれ、秩父市に「森つくり協議会」があって、植樹する団体を募集していたこともあり、一気に話が進みました。苗木や「くわんたい」の注文、植える用具の手配でも2人には大変お世話になりました。925日には、私他3名で、秩父市役所に行き、「森づくり協定」を締結、そして3日の植樹となったわけです。
私たちの会は、創立50周年になりますが、40年ほど前から、毎年6月の第1日曜を中心にクリーンハイク(清掃登山)を実施し、自然環境の保全にも関心を持ち続けてきました。清掃登山を始めた当初は、登山道には多くのごみが捨てられていました。昭和49年の記録を見ると、飯能市の棒の峰の2時間ほどのコースですが、25人で拾いまくっても、3分の1も片付かない、終わった後、またすごい勢いでごみが増えると嘆いています。でも、40年経った今、クリーンハイクは多くの山岳会に広がりました。山ではゴミは持ち帰りが常識になり、毎年やっているクリーンハイクは、ゴミのある山を探すのが困難な状況になりました。   
今回の植樹は、自然環境の保全に取り組むという会の伝統を引き継ぐものでもあります。クリーンハイク同様、他の会にも広がることを期待したいと思います。そして、植樹場所が会員憩いの場所になり、春には桜を、秋にはモミジやカエデの紅葉を楽しめるよう、またコナラの実が野生動物を育むよう、植えた樹が大きく成長することも期待したいと思います。さらに、樹を植えた市有林から流れる水は、荒川の流れに合流し、市民の生活を支える水になります。蛇口をひねる時、想いが、植樹した樹や、林に及ぶかもしれません。楽しいことです。植樹に参加された会員はじめ、募金に協力頂いた方、そして普段支えてくれている全会員の皆様、大変ご苦労様でした。